朝起きるとそこは雪国だった。
トンネルを抜けるとそこは雪国だった。
川端康成ではないけれど、僕(黒須三太 くろすさんた)が見た景色はまぎれもなく雪景色。
確かに昨日は雨が降っていた。
それが冷えれば雪になる。
あたりまえの事なのだが、世の中には限度というものがある。
ヘークション!!
ティーシャツ一枚で寝ていたためか、どうやら風邪をひいたっぽい。
雪が降っているのにティーシャツ一枚で寝るなんてばかじゃないかって思うだろう。
しかし僕はまさか雪が降るなんて思っていなかったのだ。
なぜかって?
だって夏なんだもん。
誰がなんて言おうと夏なものは夏。八月だ。
昨日スイカも食べたしカキ氷も食べた。
僕だけ冬まで寝てしまったのかと思うかもしれない。
しかし、部屋のデジタル時計の日付も八月。携帯電話の日付の八月。日めくりカレンダーは夏休みに入ってからめくっていないので七月のままだけれども、間違いなく『夏』なのだ。
「まぁいいや」
夏休みに入ってだらけきった頭では、この状態をまともに考えることはできなかった。
僕は布団をかぶって今一度、夢の世界を味わおうとした。
・・・・・・・・・・・・。
「寒い」
外は明らかに冬なのだが、部屋の中は夏の装備のまま。
薄っぺらい布団一枚とティーシャツ。
どうしようもなく寒い。
「これじゃねむれないな・・・・・・」
部屋を見回すと、ちょうど部屋の隅にウインドブレーカーが脱ぎ捨てたままの状態であった。
無いよりかマシか。
毛布を出せばいいじゃないかという突っ込みは勘弁してもらいたい。
僕の頭の中は寝ることだけで精一杯なのだ。
ウインドブレーカーを着込んでもう一度布団にもぐりこんだ。
しかし、ティーシャツにウインドブレーカー。雪が降る気温の中では多少の足しでしかならない。
「やっぱり寒い」
結局目がさめてしまった。
仕方なくタンスから冬物の洋服を出して着込んだ。
おまけに年がら年中しまうことの無いストーブもつけた。
「何で真夏に雪が降ってるんだろう?」
外をぼーっと眺めながら自分なりに考えてみた。
ぽかぽかしてきて回転が多少速くなった頭で考えついたことは、
1、 寒い。
2、 雪が降っている。
3、 白い。
とても気象予報士にはなれそうにない頭じゃこの程度が限界だった。
やはり天気の事は専門家に聞くのが一番だと思い、僕はテレビをつけた。
どこのチャンネルでも季節はずれの雪についての報道が行われている。
まぁいつかは止むだろうと考える楽観主義の僕にとってはあまり関係のない事だ。
程よくあったまった部屋でせんべいを食べながらゴロゴロしつつテレビを眺めていると、見覚えのある場所と人が映し出された。
近くの公園と、僕がファンのレポーター、キューティー浅田(あさだ)さんだった。
「男として行くっきゃない!!」
僕はストーブもテレビもせんべいもそのままに、外へ駆け出していった。
僕の部屋は二階。階段を踏み外して下までころげ落ちていったことをここに追記しておく。
雪が積もっていてよかった。
ここで簡単に僕の街の事を話しておこう。
僕の街は豪雪地帯というわけじゃないけれど、それなりに雪の多い山の麓の街で、温泉街として寂れていない程度に栄えている。
そして、人知れずこの街にはある昔話があった。
雪女の話である。
冬になると雪女が山に現れ、気に入った男を夫とするべく氷付けにして山に連れて行ってしまうというというちょっと子供には怖い話だ。
山の名は雪女山(ゆきめやま)。その名のとおり雪女がいる山ということから名前をつけられた。
しかし住民調査の結果、ここ何十年も行方不明者はでていない。
つまり雪女の話は迷信ってことだ。
だから今となってはほとんど雪女の事を話さなくなり、雪女の話は民話となってお土産屋で売っているお土産用の本に書いてある程度となってしまった。
雪女の本はあまり売れていないらしい。
ちなみに僕は、雪女はいないと思っている。
雪が降っているということで、当たり前のように道路にも歩道にも雪が積もっている。
僕の愛車(そう言っても自転車だが)『ネオ・船橋』では、この雪道はかなりきつい。
こんなことならセカンド号『ニュー・八千代』にでも乗ってくればよかったと後悔した。
『ニュー・八千代』はマウンテンバイク。
この程度の雪道ならへっちゃらなのだが、この前坂道で派手に転んだのを気に、セカンド号に格下げしたために乗ってくるのを控えた。
エーコラ、ヒーコラ言いながらも、公園まで後一歩の場所までたどり着いた。
思わず足を止めて先に続く道を眺めた。
そこは見事な坂だった。
しかもお約束だと言わんばかりに傾斜がきつい。
遅刻少年の足を毎日鍛えるにはもってこいの坂なのだ。
ちなみに僕は遅刻少年。そして一台の自転車。
僕の頭の中にガッツマンの曲が流れた。
「ぬおりゃぁぁぁぁ!!」
坂を駆け上がるスピードは、ジャイアンから逃げるのび太君よりかは多少速かった。
坂を途中まで駆け上がった僕の目に、ロケバスらしき車の姿が入った。
「よし、彼女はまだいる!!」
坂を駆け上がるスピードはネズミから逃げるドラえもんと同じぐらいのスピードになった。
「おっしゃぁぁぁぁ!!」
我ながらかっこよく坂を登りきったと思う。 しかし自転車の勢いもかっこいいぐらい残っていた。
この坂のあだ名は『天狗の鼻』。
上りもあれば下りもある。
そして僕の目の前にあるのは上りと同じぐらいきつい下り坂。
急ブレーキをかけても自転車は止まらず、下り坂にさしかかってしまった。
「こんなところに公園つくるなぁぁぁぁ!!」
坂を下りながら絶叫している僕に気づいた人は多分いないだろう。
急ブレーキをかけ続けてやっと止まるかと思った矢先、ブレーキワイヤーが切れた。
プツンといい音がした。
今日はどこまでも落ちる日なのか、自分の運の悪さを嘆いた。
ちょっぴり涙が出た。
そのまま坂を下ると川がある。
この車道からまっすぐ行ってもガードレールが無いだけ、多少の運が残っていたのかもしれない。
僕の頭に一つの妙案が浮かんだ。
今は夏だけど雪がある。
おまけに今向かっているのは川原。
川原には雪が積もっているはず。
雪に突っ込めば衝撃が吸収できる。
こんな時にこれだけ考えられる自分の頭に多少の自信がもてた。
が、世の中そんなに甘くないのもまた然り。
坂の終着点から繋がる川原から、川まで真っ直ぐに雪が無かったのだ。
「そんなばかな!?」
川原には季節はずれの雪だるまを作っている元気な子供達がいた。
「夏に雪だるま作るなー!!」
僕の叫びは虚しく川原に響く。
元気に遊ぶ子供たちには僕の声は届かなかった。
このまま勢いつけたままなら、水面を跳ねる石のように向こう岸まで渡れるのじゃないか?
ふとそんな事が頭をよぎったが、残り少ない理性が拒んだ。
しかし拒むのがちょっと遅かった。
僕はなにもできないまま自転車ごと真っ直ぐ川原に突っ込んでいった。
奇跡的にも自転車は川の上を走った。
しかしほんの数メートルだった。
自転車は沈み、僕は川の中腹まで投げ出された。
愛車『ネオ・船橋』は自転車としての役目を終えた。
どこから僕が自転車で川に突っ込んだ事を聞いたのだろうか、川原には大勢の人が集まってきた。
ついでにさっきまで公園で撮影していたテレビ局の人たちまで集まってきてカメラを回し始めた。
正直助けろよと思ったが、報道しているのはキューティー浅田さん。
全国のお茶の間に夏だけど冬の川で溺れた男とさらし者にされるのはゴメンだ。
格好悪いところは見せられないとオタンチンな事を考えはじめた。
ここは川で、自分は川の中。
小学校時代、怪人河童男と呼ばれた血が騒いだ。
「さらばだ明智君!!」
報道陣及びやじ馬群にそう叫び、僕は軽やかに泳いで向こう岸に渡った。
雪降る中、服を着ているのに軽やかに泳げた 僕の祖先は本当に河童なのだろうか?
カメラマンは泳いで逃げていく人を映しながらつぶやいた。
「なんで俺が明智だってこと知ってるんだ?」
頭には“?”マークを三つくらい浮かべている。
全国のお茶の間にこの映像がリアルタイムで流され、大笑いされた事を三太が知ることはなかった。
ヘークション!!
大きなくしゃみがでた。
真夏に真冬並みの寒中水泳をやった僕の体は芯まで冷え切っていた。
幸いにも、財布も携帯電話も持ってきていなかったので被害は自転車一台だけ。
まぁ、自転車は後で回収すればいいやと、体を震わせながら歩き始めた。
北風が濡れた服にきびしい。
ヘークション!!
大きなくしゃみ二発目。どうやら本格的に風邪を引く前兆だ。
どこかで体を温められるところが無いかと辺りに目をやると、運良く空き地に大きなかまくらをみつけた。
かまくらには誰もいない。おまけに空き地の隣にはコインランドリー。
コインランドリーを覗くと誰もいない。一台乾燥機が回っているだけだった。
ごめんなさいと思いつつも、僕は自分の着ている服を乾燥機に突っ込んで、誰もいないことを確認するとかまくらに急いで潜り込んだ。
かまくらの中は意外に暖かく、ずぶ濡れの服を着ている状態よりもだいぶましだった。
「しかしでかいかまくらだな」
周りに積もっている雪はせいぜい三センチぐらい。
しかしこのかまくらは冬の豪雪地帯でしか作れないほどの大きさなのだ。
「まぁ、いいか」
「よくない!」
うわっと!
僕は声に反応して思わずかまくらの壁に飛びのいた。
背中越しに凍りつくような感触が全体に走った。
心臓が止まるかと思ったが、大丈夫だった。
「キャッ!」
今度はかわいらしい声が聞こえた。
大体小学生ぐらいだろうと思えるような声の主は案の定、小学生の女の子だった。
背中にランドセルを背負っていなかったら中学生ぐらいだと言っても過言ではないぐらいの整った顔立ち。髪は背中の中央ぐらいまで伸びる長さ。いかにも男の子にモテモテそうな少女だった。
「あ、どうも、お邪魔してます」
少女の顔がみるみる赤くなった。
ゆでだこみたいだった。
「あ、挨拶はいいから早く服を着てよ!」
・・・・・・・・・・・・!!
改めて服を着ていないことに気がついた僕は、思わず前を隠した。
「もう、服はどうしたのよ?」
少女は顔を赤らめたまま僕の方を見ずに言った。
くいっ。
僕は無言でコインランドリーの方を指差した。
「・・・・・・・・・・・・」
少女は無言で、そして呆れたような表情を浮かべため息をついた。
「し、しつれいしましたー!!」
僕はそう残してかまくらから走り去った。
見られた、見られた、見られた・・・・・・。
しかも女の子に見られた。
でも痴漢と騒がれなくてよかった。
かわいい子だったな。
明日のおかずはなんにしよう。
きっと明日は晴れるはずだ。
明日もホームラン。
我ながら訳のわからない事を思いながらコインランドリーに駆け込んだ。
またも誰にも見られなくコインランドリーに駆け込んで、勝手に突っ込んだ衣服を取り出し、着替えて外に出た。
この間23秒。かなりの早さだと思う。
ちゃんと勝手に借りてごめんなさいも言った。
半渇きの服は気持ち悪いが、痴漢だと騒がれるより遥かにましだ。
着替えてからかまくらに戻ると、少女は寂しそうにため息を連発していた。
「おまたせ」
「ふーん、戻ってきたんだ」
少女は目線を動かさないまま言った。
「そりゃ、一応謝っておこうと思ってね」
「謝る? 何で?」
「そりゃあんな格好してたからね」
「別に気にしてないよ」
「そりゃよかった。んじゃ僕はこれで」
「待って」
僕がかまくらから出ようとするのを少女が止めた。
「なんだい?」
「私を見てなにも思わないの?」
少女は立ち上がって僕に言った。
少女にたいして思うこと。
ランドセルでかまくらを作ったであろう小学生。
それ以上でもそれ以下でもない。
「うーん、ちょっとわかんない」
「はぁ・・・・・・どうして夏休みにランドセル背負っているかとか思わないの?」
「ああ」
ぽんと手のひらをこぶしで打った。
まぬけな音がした。
「補習かなにかなんだね」
ドベシッ!
少女は大きく前にコケた。
「え、違うの?」
「違うわよ!」
「じゃあ授業参観日だ!」
ドベシッ!
今度は大きく後ろにコケた。
「夏休みに授業参観日なんてあるわけないでしょ!」
「それもそうか・・・・・・」
「もう・・・・・・、林間学校だからよ」
少女は呆れながら言った。
「なるほど〜」
三太はうむうむと納得した。
三太は林間学校でランドセルを背負うことはないという事には気づかなかった。
「でも林間学校って言うなら君は何でこんなところにいるの? しかも一人っきりで」
「別に・・・・・・」
少女はそういうと、僕から目をそらした。
何かあるに違いない。
なにかと鈍い脳みそがそう告げた。
困った亀を助けたら竜宮城。
困った人を助けたら・・・・・・。
何も思いつかないが、困った人を助ける事はいいことだ。うん。
「よーし、ここはお兄さんに任せない」
「・・・・・・何を?」
「お兄さんが君の悩みを解決させてあげよう。さぁ、何でも言ってみなさい」
「解決できる悩みならとっくに解決してるわ。いいかげん、服も着たんだし早く家に帰ったら?」
さっきは引きとめたくせに今度は帰れとは。ガキンチョの考えることは今いちよくわからん。
とりあえずゴホンと一つ咳払い。
「気が変わったから帰らない」
はぁ、と少女はまた一つため息をついた。
「あなたは人間でしょ。私たちの事なんてわかりはしないわ」
「君も人間さ。人間のことなら人並にわかるつもりさ」
本当に人並みなのか疑問に思ったが、そんな些細なことは一瞬で吹き飛んだ。
「でも・・・・・・・」
「デモは嫌いなんだ、俺は機動隊だから」
「・・・・・・つまんないギャグ。しかもパクリじゃない」
いったい君は何歳なんだという突込みを僕は喉の奥に飲み込んだ。
「クスッ。まぁいいわ。話してあげる」
初めて少女が笑った。素直な笑顔に僕は思わずドキンとしてしまった。
言っておくけど、僕はロリコンじゃないからな。
「学校で嫌なことがあって、休み時間にこっそり抜け出してきたの。戻ろうと思ってもなんか戻りにくくて」
「なるほどなるほど」
少女は静かに話し始めた。そこにさっきの笑顔は無くしょんぼり顔。
僕はただ黙って少女の聞いている。
「きっと先生怒っているし・・・・・・、怒られるの嫌・・・・・・」
「わかったわかった」
「ちゃんと聞いてるの?」
半信半疑な顔で少女は僕の顔を覗き込んできた。
「もちろん聞いているさ。よし、僕にまかせなさい!」
「どうするの?」
「僕が君の先生を説得するよ」
「それだと怒られない?」
「たぶんね」
「・・・・・・・・・・・・」
しばらくの沈黙の後、少女は何かを考えているかのようなし仕草をし、それから口を開いた。
「学校まで付き合って」
「了解」
そう言うと再び少女の顔に笑顔が戻った。
「で、学校はどこなの?」
「ここからあの山を一つ越えてすぐのところ」
少女が指差す山は、ここからだいぶ離れたところに位置する雪女山だった。
だいたい雪の無い平常時でも雪女山までは自転車で三十分はかかる。
ここまで歩いてくるとは対した根性だ。
こんなに離れた場所に少女がいるのはおかしいと、一ミリ程度も思わなかった。
「だったら自転車で行ったほうが早いな。一旦僕の家に寄るけどいいかい?」
コクン。
少女は無言でうなずいた。
家にはセカンド号に格下げされた『ニュー・八千代』が薄っすら雪を積もらせて待っていた。
雪を大雑把に払いのけ、タイヤの空気の入り具合を確認する。
「よし、これなら二人乗りしても大丈夫だろ」
「二人乗りはいけない事だって先生が言ってたよ」
「細かいことは気にしなくていいから、早く乗りなよ」
「う〜」
少女はしぶしぶと自転車の後ろに乗った。乗ったといってもマウンテンバイクは後ろに座るところが無いので、車輪の横に足をかけて立っている状態ということだ。
「よーし、行くよ。しっかりつかまっていてね」
二人乗りの自転車は一人分体重が増えるのでペダルをこぐのも幾分かきつくなる。
しかし少女を後ろに乗せているにもかかわらず、足にかかる力はいつもと同じぐらいだった。
女の子って見かけより軽いもんなんだな。
彼女いない歴十九年の三太は何も疑問に思わなかった。
大ばかだった。
少女は曲がり角やちょっとした下り坂にさしかかると、「キャッ!」と小さく驚いたりする。
その度に背中越しからギュッと抱きしめられ、僕は思わず上気してしまうのだ。
そんな幸せのような時間が瞬く間に過ぎて、僕らは山の入り口までたどり着いた。
入り口は雪のために通行止めとなっていた。
「さすがにここを二人乗りのまま上って行くのは無理だから歩こう」
「乗せてくれてありがとう。二人乗りって楽しいんだね」
少女は自転車から降りると僕の先を歩き出した。
「ここからは私が案内するね」
僕は自転車を押しながら山道をヒーコラ、エーコラ上りはじめた。
山道は雪が降り積もっているので相当歩きにくい。
しかし少女は雪が積もっているのをまったく苦にしていないように、どんどん先に進んでいってしまった。
「ちょ、ちょっと待って・・・・・・」
「もう、この程度でだらしないなぁ。この先はもっと積もっているのに」
僕より十メートル先を軽やかに歩く少女は足を止めて、僕に振り返り言った。
「自転車置いてくればよかったかな・・・・・・」
自分が上ってきた道を眺めると、自転車をふもとに置きに行ってそこからまたここまで上る気にはならなかった。
我慢しよう。
心にそう誓った。
しかし誓わなければよかったと思うほど、山道の雪は上るにつれて次第に深さを増していった。
「ど、どこまで上ればいいの?」
「もう少しよ」
ゼーハーゼーハー息を切らしながら同じ事を何度も聞いたけど、同じ事を何度も返事で聞かされた。
ちなみにこれは十二回目。
何時間歩いたかわからなくなるような錯覚を覚え始め、意識が朦朧とし、もう一度聞こうかなと思ったとき、少女に僕は追いついた。
「ここの道を入っていったところに学校があるの」
「道って言われても僕には雪が積もっているだけにしか見えないぞ」
少女が指差した方向は木々が左右に生え揃い、雪が降り積もっている状態ではとてもじゃないが歩いて入っていける気がしない道のようなものだった。
「今は夏で、昨日まで雪は無かったでしょ?」
「それもそうか」
少女にそう言われると、なんとなく道があるように思えてくるから不思議だ。
僕は自転車を近くのガードレールに立てかけると少女とともに道を言えない道を進んだ。
道を進むこと数百メートル、道の終着点には拓けた広場があった。
その広場の真中に古ぼけた木製宿舎がぽつんとあった。
まるで何年もそこにあるかのように。
その古ぼけた宿舎に人がいるのかはこの位置からだとわからない。
「あそこが学校?」
「うん・・・・・・」
少女の返事には元気が無かった。
やっぱり怒られるだろうと思っているのか、その表情も暗い。
ついでに足取りも足かせがついているかのように重そうだった。
「大丈夫だよ」
僕はやさしくそう言い、少女の手を握った。
「あっ」
少女は少し驚いたような声をだした。
少女の手に暖かみはまったく感じられない。
極度の冷え性なのかな?
僕は少女の手を引っ張って宿舎まで近づいていった。
宿舎に近くにつれ、その宿舎から人がいるのだろうっていう雰囲気が伝わってくる。
宿舎の入り口にたどり着き、僕が入り口を開けようと手をかけると、僕が力を入れる前に入り口が開いた。
自動ドアではない。
中から入り口が開けられたのだ。
そこにはおしとやかそうな大人の女性が立っていた。
年は僕よりも五歳は年上であろう。地面に届きそうで届いていない長い黒い髪。背も高く、落ち着いた雰囲気を持っている女性だ。左手の薬指には銀色の指輪がはめられている。
「あら、人間の方? それに―――――」
その女性は何かに気づいたのか言葉を詰まらせた。
「あ、奈津子(なつこ)ちゃん! いったいどこに行ってたの!」
いつのまにか僕の後ろに隠れていた少女に向かってその女性は声を荒げた。
その声に少女、もとい奈津子は驚いたのか、僕の手を振り解き一目散に元きた道を逃げていってしまった。
「あ、君!」
僕が声をかけても奈津子は振り向かなかった。そしていつしか少女の姿は見えなくなった。
「あなたが奈津子ちゃんを連れてきてくれたのですね? どうもすみません。私奈津子ちゃんの担任で、『霙(みぞれ)』っていいます」
そう言うと、霙はペコリと頭を下げた。
「霙先生ですか。実はあの子のことなのですが・・・・・・」
「奈津子ちゃんね?」
「ええ、その奈津子ちゃんです。実は奈津子ちゃん、学校から抜け出しちゃったのはいいけど、怒られるのが怖くて帰るに帰れなかったのです。それで、奈津子ちゃんのこと怒らないんで欲しいんです」
「それはもちろん怒る気はないわ。奈津子ちゃん、他の子にいじめられてて・・・・・・」
「いじめか・・・・・・深刻な問題ですね」
僕がウンウンと納得する影には、昔いじめられていた自分が重なったからだ。
今思うとあまりにも下らないいじめだった。
「それで、みんなといるのが嫌になっちゃったんじゃないかなって思うんです。いじめていた子達にはしっかり教育し直しておいたんですけどね」
困った顔を浮かべる霙の手にはムチが握られていた。
ムチを使ったのかどうかは怖くて聞けなかった。
「なるほど」
「ところであなた、名前は?」
「黒須三太です」
霙の顔がぱぁっと輝いた。
「あなたなら奈津子ちゃんの悩みを解決させてあげられるわね。あの子の力になってあげてくれる?」
「ええ? もちろん・・・・・・」
何で『僕なら』なんだろう?
頭に(?)マークが浮かんだ。
「よかった。奈津子ちゃんの悩みが解決したらいいことしてあ、げ、る、ね」
そう言っていたずらっぽい笑顔を浮かべ、霙は僕の手を両手でぎゅっと握り締めた。
非常に冷たい手だった。
しかし僕は、いいことってあーんなことや、こーんなことなのかとしか考えていなかったために、細かい事はみんな吹き飛んでしまった。
「しかしどこに行ったのだろう?」
奈津子を追って元きた道を行ったものの、途中から奈津子の足跡がわからなくなってしまった。
正確には消えてしまったというところか。さっき通ったはずの道は再び雪に綺麗に覆われていた。
雪深い道を再び進み、なんとか自転車のところまでたどり着いた。
行きはつらいが帰りは楽々。
目の前は下り坂道だった。
僕は自転車に積もった雪を払って乗ると迷わずペダルをこいだ。
夏の感覚がいまいち抜けていなかった。
普段なら快適に走れる下り坂道。
でも今日は雪が積もった下り坂道だ。
そんな坂道で急ブレーキも急ハンドルも危険すぎたらありゃしない。
「ぎゃーーーーーー!!」
僕の絶叫はやまびことなって山に響き渡った。
転ぶ可能性九十九パーセントの坂道下り。
運良く転ばなかったとしても、その怖さはジェットコースターを凌ぐものだ。
僕の運は人並み程度だとわかった。
毎回曲がり角でこけ、また乗って、また曲がり角でこけて・・・・・・。なんとか入り口まで戻ってきたけれども、奈津子の姿は見当たらなかった。
もしかしたら山道をさらに上っていったんじゃないか?
そう思って山道を見ると、あいも変わらずな坂があるばかりだ。
また上るのかと思うと途端に足が重くなってきた。
・・・・・・まぁ、見つからなかったら見つからなくてもいいよな。
霙の顔が頭に浮かんだが、雪の坂道を再び上るのが嫌だという思いの方が強かった。
体は正直だ。
僕は街に向けて自転車を走らせた。
奈津子はかまくらにいた。
僕はまたあの坂を上らなくて済むと安心した。
「ここにいたのか」
「あ・・・・・・」
奈津子は申し訳なさそうな顔を僕に向けた。
「奈津子ちゃん、何か悩みがあるの?」
「別に・・・・・・無いわよ」
さっきの申し訳なさそうな顔が一転、今度はムッした表情を奈津子は浮かべた。
うーむ、これはどうしようもないな。
このままここいいたら風邪もひいちゃうし・・・・・・そうだ!
「ねぇ奈津子ちゃん、学校に帰りにくいなら家にくるかい?」
「変なことしない?」
「するわけないだろ!」
いったいそういう事をどこで覚えてくるのだろうか。女の子はよくわからん。
「冗談よ」
「冗談なのかよ・・・・・・」
小学生に遊ばれている自分が少し悲しくなった。
「でも、人間(あなた)の生活って興味あるから行くわ」
少し大人びた、そんな感じの笑みを奈津子は浮かべた。
きっと今は晴れていれば夏の夕日が山の向こうに沈んでいくのが見えるぐらいの時間だろう。
ただ雪のために夕日は見えず、薄暗くなってきたとしか感じられない。
雑談及び無駄話をしながら雪降る中をだらだらと歩き、僕らは僕の住んでいるアパートまで戻ってきた。
少しだけ懐かしいと感じというか、やっと帰ってこられたという感じだ。
僕の住んでいるアパート『落葉荘』。別名『崩れ荘』。崩れ荘と言われるには、その外見の古さから、ありがたさのかけらも無いあだ名をつけられた。
大家さんによると、築年齢と自分の歳は秘密だと言うことだ。
ちなみにこのアパートには一つだけ口にしてはいけない事がある。
それは「ボロアパート」と言う事だ。
入ってきて間もない人がその言葉を口にした際、運悪く大家さんの耳に入ってしまい、その人はほうきを持った大家さんに襲われるという珍事件があった。まったくもって妖怪、いや、元気なばーさんである。
そういう大家さんの下なのか、家賃はこの近辺のアパートと比べて格段に安い。
まぁ何はともあれ住めば都である。
僕は自転車を指定位置にとめると、疲れない程度の足取りで階段を上っていった。
奈津子はアパートを見ながら、トコトコと僕の後をついてくる。
自分の部屋のドアノブに手をかけると、鍵がかかっていないという事に気がついた。
おまけに誰かの話し声が聞こえる。
まさか泥棒か?
自分でテレビをつけっぱなしにし、鍵もかけないで飛び出してきた事は頭の中からすっかり無くなっていた。
おそるおそるドアを開けるとそこからは熱気が流れ込んできた。
「な、なんだこりゃ?」
「な、なにこれ!?」
熱気に煽られた奈津子は咽こんでいる。
急いでここを飛び出したためストーブを消し忘れていたことにこの時点でやっと気がついた。
幸い、焦げ臭く無いことから火事にはなっていない。
冬場から入れっぱなしだった灯油はもう無くなっているだろう。
自分でやりっぱなしにしていたことに驚く羽目になるとはと苦笑した。
今度からは気をつけよう。
「こんなに散らかって・・・・・・もしかして泥棒が入ったんじゃないの?」
ドアの隙間から僕の部屋を覗き込み奈津子が言った。
「いや、これはいつものことだから泥棒は入ってないよ」
「はぁ・・・・・・・」
奈津子は呆れたようにため息をついた。
「ちょっと片付けるから、適当なところに座っていて」
「適当なところって・・・・・・・」
奈津子は部屋を見渡しながら言った。とても自分が座れそうなところはなかった。
「・・・・・・私も手伝うわ」
奈津子は部屋の窓を全開にしてから散らかっている物を片付け始めた。
ヒューっと冷たい風が部屋の中を通り抜けた。
「さむっ! 何で窓を開けるんだ?」
「こんなに埃っぽいんじゃ体に悪いわよ。それに私は寒いのは平気だから」
この寒さに奈津子は何事も無いように平然としている。僕にとってはいつ鼻水が垂れてきてもおかしくなかった。
「この寒さに平気なんてまるで雪女みたいだ」
その言葉に反応したのか、奈津子は作業している手を止めた。
「雪女ね・・・・・・」
奈津子は意味ありげに笑みを含ませていた。
「ずっと昔にじぃちゃんが話してくれたんだ」
子供の頃、よくじいちゃんに「悪い子は雪女に凍らされてしまうぞ」と脅かされた事があった。
幼いながら当然ビクビクした記憶がある。
そんなじいちゃんも八年前に他界。
雪女の話をするじいちゃんはあの世でもきっと雪女の話をしているだろう。
僕の部屋の本棚にはその本はある。
ふと懐かしくなってお土産屋で買ったものだ。
奈津子は本棚からその本をとってパラパラとページをめくりはじめた。
「ねぇ、雪女っていると思う?」
そう話し掛ける奈津子の顔は妖艶な笑みを浮かべているように感じられた。
人を吸い込んでしまうような深い藍色の目をしている。
僕は何かにとりつかれたように、奈津子から目を離すことができなかった。
全身には鳥肌がたっている。
「私はね・・・・・・いるって思うの」
奈津子は雪女の本を閉じると、僕に放り投げるように渡した。
僕はその本を反射的に取った。
本はなぜか冷蔵庫に入れていたかのように冷えていた。
「・・・・・・・・・・・・」
ゴクリと唾を飲み込んだ。
目の前の少女が・・・・・・。
「ふふ、冗談よ」
やはり妖艶さを宿しながら奈津子は言った。
そのままお互い無言となり、部屋の片付けを続けた。
僕の鳥肌はしばらく消えそうにない。
いつしか僕の部屋は今までと見違えた部屋となった。
そこに淀んでいた空気は無くなっていた。あるのは冬の風が通り抜けるやたらとさむい空気だけであった。
こんなに片付いたのはきっと引っ越してきて物がほとんど無かった時以来だろう。
「お客さんに片付けさせちゃって悪かったね」
僕は開けた窓を閉めながら言った。
「気にしなくていいわよ。この方が落ち着くからやっただけだし」
少女はテーブルの前に腰を下しながら言った。
「とりあえずコーヒーでも入れるよ」
「アイスにしてね。熱いの駄目だから」
台所に行こうとする僕に目を向けることも無く奈津子が言った。
「ヘイヘイ」
よっぽどの猫舌なんだな。
結局鈍い三太だった。
奈津子はアイスコーヒーを飲みながらご満悦の表情を浮かべている。
僕はというとホットコーヒーを飲みながら体を温めていた。
しかし寒い。
窓を閉めただけでは冬の寒さは到底防ぎようが無い。
つけっ放しにしていたストーブの灯油はもう1mlも残っていない。
残る手段として毛布をかぶるしかなかったので、今の僕は毛布をかぶりながらホットコーヒーを飲んでいるというわけ。
いつしか外は真っ暗となり、外から聞こえてくるのは北風の通る音だけだ。
僕は奈津子に悩みのことを聞きだす切っ掛けを掴めなく、無言でテレビを眺めている事しかできなかった。
横目で見る奈津子はテレビに釘付け状態。珍しいものを見るかのようにテレビを見入っていた。
テレビではオカルト物を題材とした特集を組んだものが流れていた。
人魂や幽霊など、あまりにも非現実的なものばかりを取り扱っていた。芸能人たちの反応だけは面白かった。
番組が進む中、『雪女は実在するのか?』というのが流れた。
「こういうのって全然信憑性ないよね」
「そうかしら? 私は信じているわ。信じられないのは現実を直視し過ぎているからよ」
奈津子はテレビから目を離さずに言った。
「まぁ、ロマンとかそういうものなのかな?」
「違うわ。非現実を認めようとしないから、現実を見失っているだけなのよ」
奈津子の言うことに一理あった。
確かに僕たちは思想の統一みたいな事を物心つく前から教えられ、本質は与えられたものでしか見ていない気がする。
自分の与えられた世界外のことは全て非現実であり、それを受け入れることはできるはずがないのだ。
「難しいこと言うね」
「そう?」
「うん」
テレビを見終えた奈津子がテレビの電源を切ると、部屋は時計の針が進む音と外から聞こえてくる北風の音に支配された。
静寂と言った方が適切だろう。
時計の針が何回回ったのかはわからない。この静寂がいつまで続くのだろうと思い始めたとたん、奈津子は口を開いた。
「どうして私ここにいるんだろう・・・・・・」
「さぁ、成り行きでこうなったんだから。帰りたくなったの?」
「・・・・・・・・・・・」
少女は無言で首を左右に振った。
「学校で何があったの?」
僕はできるだけやさしく奈津子に語りかけた。
「私・・・・・・仲間はずれにされたの」
少女は小さな声で話し始めた。
「私、自分の名前が嫌い」
少女は今まで心に溜めていたものを全て吐き出すように僕に話した。
僕はそのたびに「うん、うん」と相槌を入れながら奈津子の話を聞いていた。
しかし解らない事があった。
夏に生まれて奈津子と名づけられた事の何処が嫌なのだろうか?
それだったら僕の方がよっぽど悲惨だ。
なんせ僕は・・・・・・。
その時一つの事が頭に浮かんだ。
僕の事を話そう。
僕にとってはあんまり思い出したくない話だけど、自分の名前を嫌っている奈津子にとっては自分の名前とちゃんと付き合っていく切っ掛けぐらいにはなるだろう。
「奈津子ちゃん。僕の話を聞いて」
「え・・・・・・うん・・・・・・」
奈津子は戸惑いながら頷いた。
絶対に忘れられない八年前のクリスマス。
学校でのクリスマスパーティーで実習にきていた外国人の先生は、クラスの皆に名前を聞いていた。
皆戸惑いながらもその先生の問いに答え、いつしか僕の番が回ってきた。
英語の成績はそんなに良くなかった僕だけど、英会話だけは多少の自信があった。
「ファッチュアネーム?」
ナチュラルな発音で外人の先生が僕に聞いてきた。
それに迷わず僕は自分の名前を答えた。
「マイネームイズ、サンタクロス」
「サンタクロース? ナイスジョーク! HAHAHAHAHA・・・・・・!」
外国人の先生は大きな声で笑い出した。
クラスの皆も笑い出していた。
その時僕は「やってしまった」と気がついた。
「ノーノー、マイネームイズ、サンタ、クロス」
「オーケーオーケー、ミスター、サンタクロース」
必死に自分の名前を伝えようにも、外人の先生は僕がサンタクロースだとジョークを言っているものと勘違いして笑いつづけていた。
アメリカンジョークじゃないのに・・・・・・。
結局周りの友人たちが僕を「サンタクロース、サンタクロース」とはやしたて始め、この日から僕のあだ名は『サンタクロース』となってしまった。
八月生まれの僕には絶対に似合わないあだ名だ。
むしろ八月生まれが不幸とし、とうとう『季節はずれのサンタクロース』とありがたみのかけらもないあだ名もつけられた。
正直この名前を付けた人物であるじいちゃんを恨んだ。
だが恨むよりも一足早くじいちゃんは他界していた。
やり場の無い虚しさだけがそこに残った。
「まぁこんなことがあってね・・・・・・」
話しているうちに自分も気分が滅入ってきた。
今更こんな話をして、損したんじゃないかなぁと思うほどであった。
「それで三太さんはどうしたの?」
この話を笑うことなく真剣に聞いていた奈津子は聞いてきた。
「僕は自分の名前が嫌いだけど、付き合っていく事に決めたんだ」
「嫌いなのにどうして付き合っていくの?」
「そりゃ自分の名前だからね。人に覚えてもらうのが楽だし、嫌なところの目をつぶればいいところだけが見えてくるから。それにこんな名前でもかっこいいって思ってるから」
照れを隠すように僕は頬を人差し指で掻いた。
「ふーん、人間(あなた)って面白い考えするのね」
「そうやって考えると楽になるからね」
奈津子は何かを考えるかの用に僕から目を逸らした。
きっと自分の名前のいいところを考えているのだろう。
僕は勝手にそう解釈した。
「辛いことから逃げるのっていけない事だと僕は思うんだ。でも逃げなければ楽してもいいって思う。だって楽していても逃げなければ辛い事と向き合っている事になるんだから」
奈津子は僕の方に顔を向けた。
その顔には笑顔が写っていた。
初めて見た奈津子の笑顔はひまわりみたいに輝いていた。
「元気でた?」
「うん!」
奈津子の声からは明らかに元気だと言うことがわかった。
「ありがとう三太さん。私にとっては本物のサンタクロースみたいだよ」
「サンタクロースはやめてよ。僕は三太なんだから」
「そうだね」
笑いながら僕が言うと、奈津子も笑いながら僕に言った。
「皆のところに帰るね」
「もう遅いし泊まっていってもいいよ」
いつの間にか時計の針は午後十一時を指していた。
こんな時間に少女一人を外に出すのは危なっかしい。変なおじさんに追いかけられるかも知れない。そう思ってでた言葉だった。
「・・・・・・えっち」
奈津子は冷ややかに言った。
僕は豪快にスッ転んだ。
どうやら僕の好意はまったく受け取ってもらえなかったらしい。
「冗談よ。もうこんな時間だしお言葉に甘えさせえてもらうわ。でも手を出したりしたらタダじゃすませないわよ」
「そんなことするかっ!」
僕は真っ赤になって否定した。
何ども言っておくけど僕はロ○コンじゃない。どちらかというとおねぇさん系の方が好きなぐらいだ。
「しないと思うわ」
結局奈津子にからかわれた結果となった。
奈津子はランドセルを枕代わりにして横になった。
「先に寝るわ。いろいろあって疲れちゃった」
奈津子は壁側をみた状態で僕に言った。
「その格好じゃ寒いだろ。今布団出すから」
「いらないわ。私が布団取っちゃったら三太さんの分がなくなっちゃうでしょ」
「僕は大丈夫だから」
「私も大丈夫よ。熱くなければいくら寒くても平気なようにできているから」
強情な奈津子に僕はタオルケットだけかけてやった。
奈津子は体を丸めかけられたタオルケットに顔をもぐらせ寝息を立て始めた。
素直じゃないな。
寝ている奈津子を見ながら思った。
「さてと、僕も寝よう」
冬用の布団を押入れから出して広げると、すぐにその中へ潜り込んだ。
ダラダラした毎日を送ってきた僕にとって今日のことは、身体的にかなりきつかったため、すぐに眠気が襲ってきた。
部屋を支配する寒さも冬用の布団なら何とか気にならなくて済んだ。
少しずつ眠りに落ちていくその中で、今日の出来事がまるで走馬灯の用に流れた。
深夜になって奈津子は目を覚ました。
寝ている三太を見ると安心したかのように息をついた。
「ありがとう」
奈津子は小さくそうつぶやいた。
「どう・・・・・・いたし・・・・・・ま・・・・・・して 」
寝ている三太は寝言で反応した。本人はまったく気づいていないだろう。
「どうやらスッキリしたようね」
暗闇の中から声が聞こえてきた。
「お母さん、来たんだ」
『お母さん』、そう呼ばれた人は暗闇から姿を現した。霙先生だった。
「そりゃね。やっぱり娘のことは心配だからよ」
「私はもう二百歳よ。お母さんに心配されるようなことは無いわ」
「奈津子は少し雪女として甘いから心配なのよ」
霙の言葉に奈津子はドキッとした。
「あなたはどうするつもりなのかしら?」
霙は冷たい目線を三太に向けた。獲物をしとめる狼のような目だった。
「それは・・・・・・」
奈津子はハッキリと返事をすることができず霙から目を逸らした。
「そこが甘いって言うのよ。雪女に関わった者は氷付けにして山の奥地に封印するか、自分の旦那として氷付けにして里に持ち帰るしかないの。それが掟よ」
「でも・・・・・・」
「夏で力の落ちているあなたには彼を凍らせる力は無いわ。私がやるけどいいわね?」
霙は奈津子に確認するかのように言った。
しかし本来、自分も三太に関わっているのだから氷付けにするのに許可は必要としないはずである。
霙の母親として娘が抱いている思いを確認しているだけなのだ。
「私がやるから冬まで待って・・・・・・」
奈津子は力なく言った。
「冬までね・・・・・・」
「三太さんは何も知らないから。私が雪女だってこともなにもかも」
「わかったわ」
霙はそう言うとため息をついた。
自分の子が初めて抱いた想いを潰すのは簡単だけれども、それは奈津子にとって余計なお世話となるだろう。
「先に帰ってるわ。お別れが済んだら帰ってくるのよ」
霙はそう言うと暗闇に姿を消した。
奈津子は鉛筆と紙をランドセルから取り出し、一つのメッセージを机の上に残した。
「またね・・・・・・」
奈津子もまた暗闇へ姿を消した。
冬が夏に変わった瞬間だった。
その頃三太は、アラスカで雪合戦している夢から鍋焼きうどんを砂漠で食べている夢に切り替わりうなされていた。
翌朝目を覚ました三太は真っ先に一言漏らした。
「あちぃ!」
部屋が閉めっきりとなり蒸し風呂状態。それに合わせて冬用の布団に冬用の洋服。
汗がひっきりなしに流れていた。
窓をすぐに開けて風を部屋に入れようとする。
しかし外から流れる風は真夏のもので、部屋の中の温度はそう簡単に下がることは無かった。
季節は完全に夏。
昨日の雪が嘘だったかのように、窓から眺める外の世界は夏一色となっていた。
何処からか蝉の声まで聞こえてくる。
僕は着ていた服を脱ぐと部屋を見渡した。
そこに奈津子の姿は無かった。
「帰ったのかな?」
僕は机の上に置いてある紙を見つけた。
そこには到底僕の字とは似つかない文字でこう書かれていた。
『冬にまた会いましょう 奈津子』
意外に照れやさんだったのか。
僕はその紙を眺めながら思った。
そのまま何気なくテレビをつけると、半分ぐらいのテレビ局が昨日の異常気象について報道をしていた。
もちろん中には違うものを報道しているものもある。
アニメと教育番組ともう一つのテレビ局の報道だった。
その報道とは、『真夏なのに真冬の川で河童を発見!』というものだった。
そこに映っている姿はハッキリとしなくてもわかった。
僕自身なのだ。
「しかし、河童にされるとは困ったもんだ」
そのテレビを見ながら苦笑した。
そして一つのことを思い出した。
「自転車回収しないと」
僕は川へ駆け出していった。
またもテレビは付けっぱなしだった。
周りには報道を見て駆けつけた野次馬がたくさんいたが、僕はお構いなしに川へ入っていった。
「河童に襲われるぞ」と変なおっさんが言ったが、あの報道の中の河童本人である僕にとってはなんの恐怖もわかなかった。
幸い川はそんなに深くないので自転車はすぐにみつかった。
ブレーキのワイヤーが切れているだけで、その他にはまったく問題はなかった。
「よかったよかった」
自転車屋で修理してもらいながら頷いた。
修理された自転車に乗ると家路についた。
家路に向かう最中、昨日の空き地の所を通りかかった。
そこにはやはりなにも残っていなかった。
「この熱さじゃ解けちゃうか」
この場所で奈津子と会ったことを思い浮かべ、少しだけ感傷に浸ると、僕は名残惜しそうにその場から離れていった。
「そういえば霙先生の言っていたいい事ってなんだろ?」
僕は山に向けて自転車を走らせた。
期待が含まれている分、その速度は当社費二割増し程度速かった。
山の広場までは雪が無いためにあっさりと入ってこられた。
そこにはやはり古ぼけた宿舎がぽつりと立っていた。
古ぼけた宿舎まで近づいていく。
昨日と同じように宿舎の入り口にたどり着き、僕が入り口を開けようと手をかけると、やはり昨日と同じように僕が力を入れる前に入り口が開いた。
「こんにちは。あなたのこと待っていたのよ」
そう言うと霙は微笑を向けた。
「えーと、あの、その・・・・・・」
その笑顔に僕はなぜかしどろもどろしてしまう。
「ふふ、奈津子ちゃん戻ってきたわ。あなたのおかげね」
霙の嘘は見抜けなかった。
僕はただ、奈津子がちゃんとここに戻ってきたのだろうとしか思わなかった。
「それじゃ約束どおりいいことしてあげるね。目を閉じて。あ、私が目を開けていいって言うまで目を開けちゃだめよ」
「う、うん・・・・・・」
「あの子との約束だしね・・・・・・」
僕の心臓はバクバクいっていた。
マラソンで走りきった後よりもきっとバクバクしているだろう。
きっとこの後に行われる‘お約束’に期待が膨らむばかりだった。
しかしお約束はなかなかこない。
それどころか体がどんどん冷たくなっていく気がした。
すごく目を開けたい。
しかし開けてはいけない。
心の中では物凄い葛藤が行われていた。
冷たくなっていく感覚がいつしか氷の中にいるみたいな錯覚すら覚え始めた頃、やっと霙から返事が来た。
「もう目を開けていいわよ」
‘お約束’はきていないが、僕はおそるおそる目を開けた。
目を開けて見えたものに僕は唖然とした。
目の前には白い装束をきた霙が立っていた。
そして回りは昨日と同じ白い景色が広がっていた。
「そんな・・・・・・ばかな・・・・・・」
僕が動こうとしてもなぜか体は動かない。
目線を落としてみると、僕の首から下は氷付けにされていた。
僕はやっと全てに気がついた。
「ふふ、冬にまた会いましょう♪」
いたずらっぽく笑い、霙は僕の唇に人差し指をあてた。
その指はやはり冷たかった。
いつしか先生の体は景色と同化するように透過していき、霙の姿が消えるとともに回りは元の夏に姿を変えていった。
僕の体を覆っていた氷も無くなり、また夏の暑さが体に纏わりついてきた。
「冬にまた会いましょう・・・・・・か」
僕は霙の言った言葉を呟いた。
恐怖で体が震えるというよりも、ワクワクとした気持ちで体が震えた。
終(後篇も書くかも)
後書:
この話を思いついたのは去年の12月。たしか関東で大雪が降った日でした。
朝起きたら外が真っ白で、驚いたのを覚えています。
朝から経済学の授業があって面白くないなと外を眺めていたら、雪女の話を思いつきました。
冬に雪女→夏に雪女で面白くないか?→とりあえず笑いを入れながら書いてみるか→書き終わった
といったような感じで書き終えました。
しかし自分の作品を見ると、その日の気分で大きく変わっているのがわかります。
もっと勉強しなきゃいけないなぁとこの作品は思わせてくれました。
書くことは自分への勉強である。
これを信念にこれからも細々とがんばろう♪
日記込みな後書きでした☆
後書2:
こいつも長い。
新しいHPを作る際に見やすく改行を打つようにしたのだが、これだと疲れてしまうではないか。
てか、これも俺が書いたのかと疑問までもってしまうw
まぁいいか。
後編は未だに手をつけていない(2004年1月12日)