探し物はなんですか?

 北風が吹き始め寒くなってきたころ、僕は駅前のロータリーを歩いていた。

 やっと予備校から解放され家に帰る途中だった。

 はく息も白く、駅前のネオンが悲しく辺りを照らしている。

 コートを着ていても手袋をしていても寒いものは寒い。早く帰って風呂にでも入りたい。

 鼻水が出そうになってきた時に、突如強い風が吹いた。

 その風に煽られて、残り少なくなってきた木の葉が上空から舞い降りてきた。

 頭や目の辺りに当たる木の葉が痛く、薄く目を開けながら道を急いだ。

 僕の目の前に一人の少女の姿が映った。

 一人で何かを探している。よく見えないが悲しそうな顔をしているように見えた。

 少女は僕に気づいたのか、こっちを向いてかるく微笑んだ。

 その笑顔が冷たかった。

 声をかけようとして近づこうとしたら、再び強い風が吹き、目の前に現れたたくさんの木の葉によって邪魔された。

 僕は思わず目を閉じてしまった。

 再び目を開けたときには少女の姿はどこにもなかった。

 家に着いても消えた少女のことが頭から離れない。

 風呂に入っていても、机に向かって参考書を開いていても頭から離れない。

 しかたなく(それを理由に勉強しないで)寝ることにした。

 あ〜あ、僕ってダメ人間。

 思わずため息をついた。

 でも、あの微笑みはなんだったんだろう……。



 翌朝、予備校が休みなのは嬉しいが、この時期の浪人生となれば当然暇など無い。

 今日も机に向かって勉強しなくてはならないと、適当に朝食を取って机に向かった。

 しかし眠気はお構いなしにやってくる。

 ふわぁぁぁぁぁ。

 あくびばかりで全然勉強がはかどらない。

 こりゃまずい! このままじゃまた浪人するじゃないか! こりゃあかん! こりゃあかんで!

 頭を振って気合を入れなおすが、またも眠気が勝ってしまった。

 く〜っ。

 五分後……。

 僕はガバッと体を起こし、机から離れた。

 あ、あぶねぇ、またこのまま眠っちゃうところだった。

 座るから眠くなるんだ。うん。

 僕は一人虚しく納得した。

 顔でも洗って目を覚ましてくるか。

 洗面所に向かって蛇口をひねり、顔を洗う。

 く〜っ、冷てぇ! これだから冬は嫌なんだ。

 どうにもならないことに腹を立てたって、何も変わらないことはわかっている。こうなりゃ何かに怒りをぶつけてやりたい。

 そうだ、ノートにこの怒りをぶつけよう!

 この単純さが僕の勉強する力となっている。はたから見れば毎日の出来事にツッコミを入れたくなるのだが、誰にもそんなことが出来はしない。

 なんせ気楽な一人暮らし。何とかなるさと思って大学合格前にアパート借りたんだけど、どーいうわけか落っこちちゃったんだよね。はは。

 虚しさと悲しさのあまり笑ってしまった。

 おっと、笑い事じゃないよな。とっとと勉強しないと……。

 椅子にあらためて座りなおし、シャーペンを取り出しカチカチ鳴らす。

 カチカチカチカチ……。

 あれ?

 カチカチカチカチ……。

 出ないぞ?

 カチカチカチカチ……。

 こなくそ!

 シャーペンをいくらカチカチ鳴らしても、振ってみても芯は出てくるけはいが無い。

 筆箱の中にあった替え芯のケースの中も空っぽだった。

 どっかになかったかな。

 カバンの中にも、机の中にも無い。探したけれど見つからないのに……。

「まだまだ探す気ですか〜?」

 思わず歌いだしていた自分が情けなかった。

 歌詞の通りなら探すのを止めた時に見つかることがあるんだよね。

 椅子に座ってのんびりと天井を見上げた。

 ……っておい。シャーペン使えないんじゃ勉強できねーじゃねぇか! 

 回転の悪い頭をかきむしると、電球がピカッとついた。

 買いにいけばいいじゃん。初めからこうすりゃ良かったんだ。

 手のひらをポンと打った。

 善は急げ。さっそく買いに行くか。

 お気に入りの青いコートと自転車のカギを持って部屋から飛び出していった。

 部屋のカギを掛け忘れた事に気づいて駐輪場から慌てて戻るのは御愛嬌。

 相変わらずの自分に思わずため息が出た。



 駅の駐輪場に適当に自転車を止めて、カギを掛けた時に鉛筆使えばよかったんじゃないかということに気がついた。

 僕っておバカさん?

 何か悲しくなってきた。北風も冷たく鼻水まで出てきた。

 ヘークション!

 何か無いかなとポケット全部あさったら、昨日駅前でもらったポケットティッシュだけが入っていた。

 僕って意外と運いいかも。

 チーン!

 歩きながら鼻をかみ、身近のゴミ箱にティッシュを投げるが、ふちにはじかれて床に落ちた。

 僕にモラルがあるとは言わないが、自分の出したゴミぐらいはちゃんと片付ける。

 今度こそとばかりにティッシュをゴミ箱に叩き込んだ。情けないダンクシュートだった。

 鼻をかんだときに大事なものを忘れていることが気づかなかった自分を恨むことになるのはこの後すぐだった。



「105円になります」

 ちょっとゴツイにーちゃんが笑顔で言った。その笑顔がかえって不気味だった。

 僕はポケットの中から財布を出そうとするが、そこには何も無かった。

 あれ?

 コートの中にもズボンの中にも財布は無い。

 ポケットティッシュの残りだけが入っていた。

 や、やばい!

「お客様?」

 にーちゃんの笑顔が引きつってきた。

 やっぱり財布が無いって言ったら怒るだろうな。

 自慢じゃないが腕っ節には自信が無いぞ。逃げ足にも自信なんか無い。

 こりゃスルメにされるかもな……。

「あ、あの……ちょっと待って……」

 僕はもう一度全てのポケットを調べた。

 けれど出てくるのはティッシュの残りだけだった。

 こりゃスルメ確定かな……、って嫌だー! 僕はスルメなんかになりたくないー!

 心の中で叫んだってどうにかなるわけが無い。けど、叫ばずにはいられなかった。

 ああ神様、いるんだったらこの状況を何とかしてください。

 こんな時ばかり神の存在を信じたって神様は見向きもしてくれないだろう。

 気まぐれでも何でもいいですから助けてください。

 神のお情けか、神は僕を見捨てはしなかった。

 なんと近くにいた少女が200円を僕に差し出したのである。

「貸してくれるの? ありがとう」

 まさに天の助けだった。神様、ありがとう。これからはなるべくお賽銭を多く入れることにします。

 僕は少女から200円を受け取り、笑顔でなくなったにーちゃんに渡した。

「毎度ありがとうございます」

 元の似合わない笑顔で袋に替え芯を入れて僕に差し出した。

 少し気まずいまま、僕はそそくさと店から出て行った。



「ありがとう。おかげで助かったよ。今200円取ってくるからそこで待ってて」

 僕が戻ろうとするのを少女はコートの端を引っ張って引き止めた。

「いいの、私には必要ないから」

 少女が何を言っているのかわからなかった。

「必要ないって……そんなことないだろ。ちゃんと戻ってくるからさ」

 僕がそう言っても少女はコートを放してはくれなかった。

「私には必要ないから」

「それじゃ何かお礼するよ。今財布とってくるからさ」

「私と一緒に探してほしい物があるの」

 なるほど、200円はそのための物か。だったらとっとと探し物というやつを見つければ200円浮くな。

 我ながらセコイことを考えていた。

「わかった。手伝うよ。何を探せばいいんだい?」

「……カギ」

「カギか……特徴は?」

「わからないの……」

 わからないってことは何も特徴が無いってことだよな、うん。

 僕は勝手に解釈した。

 突然風が吹いた。

 悲しそうな表情をしていた少女の前に葉が何枚も落ちてきた。

 僕ははっとした。昨日の少女を思い出したのだ。

「もしかして昨日から探してるの?」

「うん……」

「よし、僕に任せてくれ。必ず見つけるよ」

 僕にはだいたいカギのある場所がわかっていた。

 そして意気揚揚と僕は歩き出した。行く場所は決まっている。そう、交番だ。

 昨日から探しているって言うのだから間違いは無い。僕って頭いい!

 なぜか僕は心の中で勝ち誇っていた。



「カギの落し物ですか?」

 初老を迎えた警官が聞き返してきた。

「はい」

 僕は当たり前のようにもう一度言った。

「で、カギの特徴は?」

「僕はただの付き添い。このコが落としたらしいんだ」

 警官は奥のほうから小箱を持ってきて、少女に見せた。

「今日までに届いているのはこれだけだよ」

 少女は無言で小箱の中を眺めている。

 僕もその中を覗いてみた。キーホルダーのついた物や、ヒモのついている物まで様々だった。

 その中に見覚えのあるカギがあった。僕はそれを摘み上げた。

「あれ……このカギ……」

 僕は自分のポケットに入っているはずのカギを取り出そうとした。

 無い……間違いない、僕の部屋のカギだ。

「ああ、それですか。ついさっき届いたやつですよ」

 僕の摘み上げたカギを見て警官が言った。

「これ僕が落としたカギです」

「そうですか。見つかってよかったですね。で、こちらのお譲ちゃんは?」

 少女は無言で首を横に振った。

「そのうちきっと出てきますよ。見つけたら知らせますんで、これに電話番号書いてください」

 警官は紙とボールペンを少女に渡した。

 少女はサッと書いて警官に手渡した。

「それじゃ失礼します」

「…………」

 僕らは交番から出て行った。



「あーあ、まったくもって見つからん」

「…………」

 あれから少女の思い当たる場所を聞いて、片っ端から探してみたけど、何も見つからなかった。

 時刻はちょうど昼。僕のお腹もぐ〜と鳴りだしてきた。

「お腹減ったな。君は大丈夫?」

「私は大丈夫。それよりもカギを探さないと」

「そんなに大事なものなの? 家に帰ればスペアキーぐらいあるんじゃないの?」

「無いの……たった一つだけなの……」

「でも思い当たる場所も探したけど無いんだよ。もうそろそろやめようよ」

「まだ、もう少しだけ……」

「そもそも僕にはどんなカギかわからないんだよ。あまり力になれないよ」

「そんなことない……力になってくれてるから」

「しょうがない。覚悟きめて探すか」

「ありがとう」

 僕は昼飯を食べるのを我慢してまで探すこととなった。

 はぅ〜腹減った! 



 交番から出て数時間探し、おやつの時間が過ぎてもカギは見つからなかった。

 空が茜色に輝き始め、どこかでカラスがカーカーと鳴いている。

 僕のお腹の虫は空腹のあまり鳴かなくなっていた。

 僕らは再び駅前に戻ってきた。

「もう遅いし、寒いし、親も心配してるんじゃないか?」

「親はいないの」

「あ……ゴメン……」

 僕は聞いてはいけない事を聞いてしまったと思い、少女から目をそらした。

「死んでいるわけじゃないよ。仲良くやってる」

「なんだ、そうなんだ。でもいないってどういう事?」

「遠くに行っちゃったの」

「へぇー」

 なんだ、旅行にでも行ってるだけか。僕は少しだけホッとした。

「クシュン!」

 少女は体が冷えたらしく、僕の横でかわいらしいくしゃみをした。 

 僕は自分の着ていたコートを少女にかけた。

「ほら、寒いだろ。これ着なよ」

「え……でも……おにーちゃん、風邪ひいちゃうよ」

「これでも風邪にはあまり縁がないんでね。このぐらい大丈夫さ」

 ひょろひょろの体をした僕の精一杯のやせ我慢だった。北風がピューピューと体にしみる。

「ありがとう……」

「そのコートは貸しとくよ。それにもう暗いから先に帰った方がいいよ。後は僕が何とかするからさ」

「おにーちゃんだって忙しいんじゃないの?」

「僕なんか暇なもんさ。見つけたら交番に届けておくから。気をつけて帰るんだよ」

「…………」

 少女は無言で走り去っていった。

 さてと、もう一度さっき探した場所でも見て回るかな。

 いつの間にか僕の中に使命感みたいなものが生まれていた。いや、勉強ができなかった口実を作っているだけかもしれない。

 僕は少女と歩いた道を再び歩きだした。



 やっぱりあるわけ無いよな。さっきもさんざん探したんだし。

 ゴミ箱の中を探したり、猫に聞いてみたりしたが結局見つからなかった。

 街灯が寂しく道を照らし、夜空に星がたくさん輝いていた。

 しかたなく僕はもう一度交番に行った。

 交番の門をくぐると、昼間の警官がうまそうにラーメンを食べていた。

「おっ、昼間のにーちゃんか。残念ながらあれからカギは何一つ届いてないぞ」

 警官は箸を止めて僕に言った。

「そうですか。それじゃ失礼します」

 さてと、これからどうするかな。

 交番から出ると帰ったはずの少女が立っていた。

「まだ帰ってなかったの?」

「……もういいの」

「えっ!? もういいって……カギ見つかったの?」

「うん……」

「そうかよかったな。それじゃ僕はこれで。200円本当にありがとう。コートは明日にでも交番に預けておいてくれればいいよ」

 僕が立ち去ろうとすると少女は僕の手をとった。

 その手がひどく冷たかった。

 冷えているからじゃない。何か悲しみが含まれているように感じた。

「ちょっとしゃがんで……」

「別にいいけど……」

 僕は少女に言われたとおりにしゃがんだ。

 背中に暖かいコートがかけられて、僕の頬に冷たいけど心が温まる感触がはしった。

「えっ!?」

「今日のお礼……ありがとう」

「ありがとうって言われるようなことはしてないよ。ほとんど力になれなかった」

 少女は無言で首を横に振った。

「ううん……おにーちゃんがいなかったら見つけられなかったから……」

 風が吹いた。昨日と同じ光景が再びよぎった。

 僕は目を開けていようとするが、木の葉によって視界を遮られてしまい、目を一瞬つぶってしまった。

 まさかと思い目を開けると、そこに少女の姿は無かった。

 頬に冷たいけど心が温まる感触だけがかすかに残っていた。

「ありがとう……か」

 僕はポケットにしまったシャーペンの替え芯を見て呟いた。

 そういえば名前も聞かなかったな。

 シャーペンの替え芯をポケットに突っ込んで、冷たい冬の夜空の中を歩き始めた。



 翌日、一日ぶりの予備校帰りに駅前のロータリーを歩いていると、昨日の警官が僕を呼び止めた。

「カギが届きましたよ」

「いえ、もう見つかったからいいんです」

「そうですか。それはよかったですね。不思議なことが起こったのでにーちゃんが来るのを待っていたんですよ」

「不思議なこと?」

「はい。昨日書いてもらった用紙の内容が綺麗サッパリ消えているんですよ。それで連絡が取れなくなったから待ってたんです」

 警官は昨日の紙を僕に手渡した。

 僕が見た限りでも、その用紙は新品そのものだった。

「不思議ですね」

 僕は適当に相槌をうった。少女との出来事を思えば消えていても何の不思議も感じない。

「でも見つかったんならこの紙もいりませんね。カギも誰か別の人のでしょう」

 警官は言いたいことを全て言って交番に戻っていった。

 僕は頬を撫でながら昨日の事を思い浮かべた。

 冬の奇跡か……誰も信じちゃくれないよな。

 僕は昨日と同じように何も変わらない冷たい冬の夜空の中を歩き始めた。

 忘れることのできない少女との一時を思い出しながら。

                                                    終 




後書:

私が予備校に通っていた頃に考え付いた作品です。ネタにつまっていたわけどもなくて、ただ単に書きたくなったんです。ロータリーで風が吹いて、落ち葉が舞い上がったのが印象に残っていたので書きやすかったですね。
もうちょっと落ちを工夫できればよかったです。手直しはしないけどね。 
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